僕がキャンプをするきっかけを作ってくれた父親
今日は、少々酔っているせいもあり、ホントの日記形式で書き留めていこうと思います。
他愛もない、父親との思い出ですので、興味ない方は飛ばしてください🙏
僕がアウトドアライフに目覚めたのも、実際父親の影響が大きいのです。
僕はアウトドアの経験も知識もホントにいつまで経っても素人に毛が生えた程度😅
キャンプ用のグッズが無ければ何もできませんし、応用も効きません。
虫も怖いし、蛇やクマが出て来たらどうしよう・・・
キャンプ場という整備された場所で無ければ、恐らく満足に
過ごすことはできないと思います。
ホントに大自然を愛してやまない人だった
一方父親は、植物には本当に詳しく、山に放たれれば一生食べていける程
山菜は勿論のこと、キノコも図鑑を出せるのではないかというくらいの
種類を熟知していますし、川での魚の捕り方、生態、さらに川だけでなく、
海にも精通していました。
今にして思えば、そんな父親から
もっと学んでおけばよかった
と、本気で思います。
今でこそ、Google先生や、YouTube先生を見れば大体の知識を得る事ができますが
昭和の頃は勿論そんなものは無く、口伝や体験でしか学ぶ事が無かったと思います。
そして、時代が時代なら、父親の知識があれば、間違いなくユーチューバーとして
稼ぐ事ができたのではないかって思うぐらい、ネタも豊富だし、勉強になります。
体一つで山に放り込まれても、生きていけるって常に豪語してました。
当然のことですが、口だけではないのは重々わかっています。
波瀾万丈だった父親の人生
酔うとたまに父親が昔話を語ってくれました。
父が生まれた頃はその町では割と裕福な家柄だったようです。
山を2つ所有していたり、田んぼや畑、馬小屋もあったようです。
青森の片田舎だと言っても、なかなかの家庭だったのではないでしょうか。
そして今では珍しいですが、11人兄弟。末っ子だったらしいです。
しかしこの末っ子というのが問題だったようです。
当時、末っ子というだけで家族の中ではかなり、粗雑に扱われたらしいです。
しかし、長男と次男だけはとっても可愛がってくれて、
しかも、この長男と次男がとっても優秀で、頭も良く、将来を有望視されていたそうです。
しかしここで、時代がイタズラをする訳です。
第二次世界大戦
お国から赤紙が二人のところにきました
一人は船で、一人は飛行機でそれぞれ戦死してしまいました。
それからというもの益々父への風当たりが強くなり、誰も庇ってくれる人も居なくなり
他の兄弟達が家庭の財産を食い潰して、残されたのは借金だけ。
それを背負わされたようです。
ところで、父親の父はどうしていたのか?
それは父が中学の時に盲腸で亡くなったようです。
だから僕は父方のおじいちゃんを知りません。
中卒という事で散々苦労した当時の学歴社会
父親はいわゆる団塊世代。
中卒で、その後は自動車の整備工場がスタートだったようです。
本当はもっと色々な事を学びたかったらしいのですが
小学校の授業すら満足に行かせて貰えず
毎日米俵60キロ(一俵)を担いで運ばされたり、馬小屋で馬の世話をしたり
田んぼや畑の整備など、完全に働き手として、家族を支えていた訳です。
基本的な字は読めますが、難しい文章や計算はできませんでした。
中学までは義務教育なので、なんとか通ったのですが、
お金の面でも兄貴達が財産を食い潰してしまったせいで、
学費もままならなかったという事です。
今よりも学歴を重視する社会の風潮があったようで
中卒者という事をバカにされた理、差別された事も多々あったようです。
まさに絵に描いたような苦労人。
しかし、さらに驚かされたのが、
新婚生活の話でした。
実は母も忍耐強かった 悲劇のヒロインじゃないんだから
父と母の馴れ初めは、お互いの友人の結婚式に出席した時に知り合ったようです。
この話は二人とも詳しく話さないのでこれ以上の事は実はよく知りません😅
まぁ息子の僕としても、あまり興味は湧かなかったので、深く追求もしませんでした。
なので、ラブストーリーはさておき、
当時母親との新婚生活のために、父の実家に母を迎え入れる訳ですが
その生活するための部屋は与えて貰えず、なんと馬小屋!!
まさに絶句でしたね。アニメ以外で本当にそんな事あるんだって
しかも実の息子にそのような仕打ちをする意味がわかりません。
その上借金も背負わされ、母に関しては、詳しい経緯はわかりませんが
子供を一人おろさせられてるらしいのです。
だから、本当だったら僕には兄か姉が居たという事です。
母もよく耐えたなぁと思います。
本当に昔の人は肝が据わってるというか、忍耐強いと思います。
僕だったら速攻で逃げてると思います。
明日、一緒に山に行って色々教えてよ・・・
もう咽頭癌が原因で他界してしまいましたが
父が酔って話していた武勇伝を当時は
「めんどくさいなぁ・・・」
と思いながら聞き流していましたが
そのめんどくさい話をもう聴ける機会はありません。
ろくに親孝行をすることができず、あっという間に
他界してしまいました。
その場に居ると
おっかないオーラ
が漂っていて、近寄りがたく、話すこともロクにでいませんでした。
全くまとまりのない文章です。
もう一度会いたいな・・・
一緒に酒飲みながら
「明日、一緒に山行こうよ」
って言ったら、きっと黙って何も答えないけど、
準備してくれるんだろうな
父の血なのか、父に見せたい姿なのか
子供の頃は、虫は怖がり、ゲーム三昧。たまに無理やり山に連れて行かされた時は
イヤイヤついて行き、それでもあれこれと説明してくれる父に合わせるように
ただ返事を返していただけ。
そんな僕がこの歳になって、まさかアウトドアにハマる事になるとは・・・。
これはやはり、父親と同じ血が流れているせいなのか
それとも
父親の背中を感じたいのか
自分でもよくわかりませんが、でも山にいる時はやはり
父親を近くで感じる事ができるのは間違い無いです。
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